2011年3月15日火曜日

山賊ツアー_2週目

3月11日  長崎
メンバー達は朝早くの便で既に東京を離れ、九州へと旅立っていた。
僕らカメラマン3人は、彼らを追いかけるように午後の飛行機に合わせ、羽田空港に集合した。飛行機の出発時刻は14:50…。

搭乗手続きを終えて飛行機に乗り込むと、機体が揺れだした。
最初は飛行機に乗っているせいで揺れが激しいのだと思っていたけれど、窓の外に目をやると、さっきまで乗っていたバスも大きく揺れ、お台場の方で黒煙があがっているのが見えた。尋常でないことはうかがえたけれど、機内に入る際に携帯の電源は落としていたので、分かる情報はCAからの言葉だけ。安全が確認されるまで、離陸は見合わせると言われた。
どれほど時間が経っていただろうか、携帯の電源を入れて良いと機内アナウンスがあり、各々が情報を仕入れる中、僕らの乗っていた便の欠航が決まった。

都内では電車が動かず高速道路は封鎖されていた。僕らは運良くタクシーを拾い、3人の中で最も近いYEAthの家に向かったが、渋滞は予想以上にひどく途中から歩き始めた。歩道は歩いて帰宅する人達、車道は相変わらず車で溢れていた。
家に着きTwitterやNHKのUstなどで情報を仕入れていると、地震・津波・原発と惨状が伝わってくる。各地の仲間達の状況も少しずつだがわかってきた。僕らはやれることをやろうと、動いていることの分かった東海道新幹線を使い、翌朝から福岡に向かうことを決めた。


3月12日 福岡へ
YEAthの家から五反田駅までバスを使い移動した。この間はそれほど地震の影響を感じなかったが、駅に到着するとやはり電車は動いてなく、タクシーを待つ人が行列を作っていた。駅から少し離れた場所でタクシーを拾い品川駅へ。駅に近づくにつれ渋滞し始め、駅前では五反田駅と比べものにならない程の人で溢れていた。
チケットを予約していたため、それなりにスムーズに新幹線に乗ることができた。発車後、時折地震のニュースが電光掲示板に流れる以外は、普段と何ら変わりのない空気が流れていた。

博多に到着後、ラーメンで腹ごしらえし会場に向かった。しばらくして山賊達と再会。オープン後には福岡に住む友人達とも再会を果たした。ライブまでの話題はやはり地震のことになったが、やれることをやるだけというスタンスは僕らも、メンバー・主催者・お客さん達も変わらなかったと思う。その熱を受けた山賊達のライブはいつも以上の熱を帯びていた。






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